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オーストリア、ウィーン近郊のカルヌントゥム(Carnuntum)で古代ローマの剣闘士養成学校の跡が発見された。剣闘士(グラディエイター、gladiator)とは円形闘技場で見世物として戦った剣士を指す。カルヌントゥムの養成学校はローマ本国以外で発見された初の例となる。
発見されたといっても発掘されたわけではなく、上空からの調査や地中レーダーの活用等、実際に掘り起こさない手法を使って研究が進められてきた。その結果、2世紀前後の剣闘士の暮らしぶりについて、その日常が詳細に分かってきた。
剣闘士養成学校は古代ローマではルドゥスと呼ばれていたが、「ローマのコロッセオの裏手にある、かの有名な『ルドゥス・マグヌス』と比肩できる規模を誇る」と調査に当たった考古学者チームは述べている。
学校には約80名の剣闘士が暮らしていた。しかしドナウ川のほとりに建設されたカルヌントゥムの町とは切り離された生活を送っていた。監獄にも似た約3平方メートルの部屋がそれぞれの剣闘士に割り当てられていた。たいていは独居だったが二人部屋もあった。
冬期の訓練のための床暖房や浴場、医務室、水道設備があり、近くには墓地も置かれていた。剣闘士はこうした設備を活用しながら、円形闘技場を使って毎日訓練した。
画像装置によると、この学校はコロッセオやルドゥス・マグヌスと類似した建物の配置をしている。「剣闘士養成学校は兵舎と監獄とを混ぜたような場所でした。セキュリティがものすごく厳しい施設だったのです。剣闘士は通常、既決囚、捕虜、奴隷などでした」と調査チームは述べている。
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中心に置かれた中庭を居住区や他の建物が取り囲む構造をしており、中庭には面積19平方メートルの円形の訓練場が設置されている。小さな闘技場の形をしたこの訓練場には、木造の座席と指導者用の高台が付いている。
この訓練場こそが、剣闘士の市場価値、ひいては人生の行く末を決定づける場所だったと考えられている。「もし成功を収めれば、スーパースターの地位に上り詰めることも可能でした。自由の身にだってなれたことでしょう」と調査チームは言う。
剣闘士は別名「グラディエイター」と呼ばれるが、この名称はラテン語で剣を表す「グラディウス」から来ている。中には自発的に剣闘士となった人物もおり、自らの法的、社会的地位、そして生命を危険に晒して闘技場に立っていた。しかし大抵は奴隷の身分で、社会的に周縁に追いやられ、厳しい条件の下で訓練を受けていた。
出身の違いはあれど、剣闘士はローマの軍事的精神を大衆に体現してみせる存在であり、よく戦った者、散り際の良かった者は人々の賞賛を浴び、もてはやされた。
剣闘士は芸術の題材となるほどに賞揚されていた。エンターテイナーとしていかに価値ある存在だったかは、ローマ世界のあらゆる場所で記念の事物を目にすることから、容易に想像できる。
闘技会は紀元前1世紀から紀元2世紀にかけて隆盛を誇り、傾きつつあったローマ帝国の社会的、経済的危機をも乗り越え、4世紀にキリスト教が国教となった後までも存続した。キリスト教を信じた諸皇帝も闘技会を後援することをやめず、最終的には5世紀末に開催された記録が残っている。
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スロバキアとの国境にほど近い
ウィーンからは約40km
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