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photo: flickr / Jennifer Steen Booher
ヒコの丘 (Cerro de Xico) はメキシコシティ最南端のヒコ区に位置し、チチナウツィン (Chichinautzin) 火山地帯の一部をなしています。航空写真を見れば一目瞭然ですが、ヒコの丘は正確に言うと丘陵ではありません。チャルコ湖の真ん中で火山性の水蒸気爆発が起き、それにより見事な輪を形成した凝灰岩の塊なのです。チャルコ湖の残滓はクレーターの縁に沿うように横たわっているのを見ることができます。メキシコシティの都心からわずか40km南方に下がったところにあるこの火口は、内部こそ依然として農業に使われ、凝灰岩の縁により地形的に守られてはいるものの、止まることを知らないスプロールによって都市に飲み込まれようとしています。
地質学的にいえばごくごく最近まで、メキシコシティとその周辺は湖の底でした。この火口の辺りはチャルコ湖が覆っていましたが、メキシコ盆地のほとんどがそうだったのです。 チチナウツィン火山地帯からあふれ出した溶岩が盆地南方の川を堰き止めた結果、チャルコ湖、テスココ湖、ソチミルコ湖といった湖が形成されました。スペインによる征服後の16世紀から17世紀にかけて、定期的に起きる洪水を防ぐためにこれらの湖の大部分から水が抜かれました。

おおよそのところ、ヒコ地域は1970年代末まで荒れたまま放置されていました。しかしメキシコ政府がそこで湖を完全に干上がらせたので、新しく生まれた土地を占拠しようと、メキシコ中央部や南部から多くの世帯がここに流入してきました。農業ビジネスや土地を持とうと必死の小作農が、地元自治体と違法、あるいは合法とは名ばかりの契約を結び、火山性の土壌豊かな土地をもぎ取っていったのです。数十万世帯という人々が仕事を求めて地域に流入してきました。農民は火口の縁を乗り越えて内部に進出し、畑地にしてまいました。

メキシコシティに近いにもかかわらず、シコ地区は舗装道路や子どもたちの学校といった基幹施設や基本的サービスを欠いています。多くの人が購入したのは地元自治体が農業用に確保していた土地であり、権利関係の法的もつれを解消するために中央政府が介入しなくてはなりませんでした。シコ地区は1994年に独立した区となり、2005年現在の人口は33万人に達しています。

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photo: panoramio / Pepino_Flores チャルコ湖の名残り越しに、遠景

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photo: panoramio / Pepino_Flores 縁を越えた内部

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image: Barrio de Tultenco 16世紀初頭のメキシコ盆地再現想像図。赤丸部分がシコの丘


16世紀初頭の再現図を見ると、チャルコ湖の真ん中に火口が浮かんでいたことが分かります。いまでも十分に面白いですが、当時はさぞかし現実離れした風景だったことでしょう。アゾレスとかガラパゴスとか、水に囲まれた噴火口は実に絵になりますからね。

このあたりの湖にはもともと野生のウーパールーパーが棲んでいて、ここから世界に広まったわけですが、いまでは絶滅の危機に瀕しているそうです。うすうす話には聞いていましたが、今回この地域の実情を知って、これは本当に危ないと感じました。いや、火口と直接関係はないですが。丸くぽかーんとしているところがウーパールーパーと似ていませんか。

via: Amusing Planets