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photo: wikimedia
カーリ隕石クレーターはエストニアのサーレマー島にあるカーリ村の領域内にある。島の首都クレサーレからは18kmほどの距離になる。巨大隕石で人口密集地に落ちたものは、これ以降確認されていない。地形が変わってしまった様を見れば、青銅器時代のこの地域に、この隕石がいかに悲惨な被害をもたらしたかを窺い知ることができる。
約7,600年前、質量にして20トンから80トンほどの巨大な岩が、秒速10kmから20kmほどの速さで地球の大気圏に突入した。高さ5kmから10kmほどのところで隕石は複数の破片へと割れ、かけらとなって降り注いだ。その中で最大のものは、地表に落ちた際、TNT火薬にして20キロトンに相当するエネルギーを放出した。第二次世界大戦末期、広島を灰燼に帰せしめた原子爆弾よりも25%ほど大きな数値だ。爆発により約81,000立方メートルのドロマイト (苦石灰) や岩石が巻き上げられ、高さ7kmから8kmにおよぶ火柱が立った。中心から半径6kmの森林が燃え尽きた。隕石が落下した時、現場周辺には少数毎に暮らす人々の集落が散らばっていた。数多くの犠牲者が出たものと思われる。

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photo: wikimedia
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photo: earth impact database
隕石の爆発により島に合計9つのクレーターができた。その地域は今日ではカーリ隕石クレーター原と呼ばれている。クレーター群の内で最大のものは直径110m、深さ22mとなっている。隕石のその他の欠片は小さなクレーターを作った。直径12mから40mほどで、深さはそれぞれ1mから4mほどだ。いずれも、最大のクレーターから1kmの範囲内にある。

最大のクレーター (カーリ・クレーター) は今日では湖となっている。地下水や雨水が溜まったものだ。時期にもよるが湖の直径は30mから60mほどで、深さは1mから6mに達する。カーリ・クレーターの周囲には長さ470mに及ぶ長大な石壁の遺構が残っている。厚さ2.5m、高さ2mで、鉄器時代初期 (紀元前600年から紀元後100年) に作られたものだ。壁で囲まれた内側からは家畜の骨が驚くほど多量に見つかっている。最新のものは17世紀まで下る。湖が水場だけではなくいけにえの儀式にも使われていたことを示している。また紀元前7世紀から同5世紀あたりにかけて要塞化された集落が存在していたことが確認されている。紀元後3世紀から5世紀頃の銀細工が隠されているのも見つかった。

壁、銀細工、骨などの出土品から、大惨事をもたらした隕石の落下後数世紀が経つにつれ、クレーターが土着宗教の祭祀の場となっていったことが窺える。エストニア人は豊作を祈願するために動物をいけにえに捧げていたことが知られている。この習慣は、キリスト教の教会がそうした土着の習俗を禁止した後もひそかに続いていた。

フィンランド神話には大惨事と湖に関する物語がはっきりと残っている。とりわけ、民族叙事詩であるカレワラには、空から火が落ちてきて家や原野や湖沼、そして人々を焼いたという、非常に写実的な描写が含まれている。

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photo: flickr / visit estonia
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photo: flickr / Carlos Johnson
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photo: wikimedia クレーターの周囲にある、捲れ上がったドロマイト
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photo: wikimedia

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diagram: saaremaa.ee 隕石による主クレーターと8つのクレーター

wikipedia: カーリ・クレーター
via: Amusing Planet