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カリブ海の国ハイチの北岸で、クリストファー・コロンブスが1492年に新大陸を発見した際の旗艦だった、サンタマリア号の残骸が発見されたようです。人類の命運を変えたと言っても過言ではない一隻の船ですが、500年以上の月日が流れた今、本当にサンタマリア号だと断定できるのでしょうか。

調査隊の隊長であり、水中考古学の先駆者であるバリー・クリフォード (Barry Clifford) は次のように主張しています。すなわち、船が見つかったハイチ北岸は、サンタマリア号が座礁したとコロンブスの日誌に記載されている地点と合致します。見つかった船はサンタマリア号と同じ大きさであり、傍で見つかった、船のバランスを取るためのバラストと思われる石はスペイン産で、サンタマリア号に積まれたのと同じバスク地方のものでした。また発見された大砲は15世紀に作られたもの、つまりサンタマリア号で使われていたものと年代が一致しています。
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photo: fksa.org サンタマリア号座礁想像図
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image: wikimedia コロンブスの航路 (初回)。右下の島が現ハイチのあるイスパニョーラ島。島の西側にある"Cap Haitien"が座礁場所、"La Navidad"が要塞。
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image: fksa.org コロンブスによる手描きの地図。イスパニョーラ島の西半分と一致し、要塞の場所が記入されている。
目下のところ、クリフォードのチームは実際に水中発掘作業に取りかかったわけではなく、ハイチ政府の協力を得ながら写真撮影や計測など予備的な調査をするに止まっています。この沈没船の予備的調査は既に一回、2003年に同チームにより行われていますが、当時は船の出自について判断する材料がありませんでした。しかしやはり同じ2003年、近くにコロンブスの築いた要塞があったという研究結果が発表され、それとコロンブスの日誌とを突き合わせると、この沈没船がサンタマリア号ではないかという可能性が浮上してきたわけです。

日誌によると、1492年8月3日、カナリア諸島を出港したコロンブスの船団は、37日間の航海を経て西インド諸島に到達しました。しかし約3ヶ月後の12月25日、夜間、旗艦サンタマリア号がハイチの沖合いでサンゴ礁に乗り上げ、コロンブスは船を放棄しなければなりませんでした。船団の他の船に乗り移ったコロンブスは、近くの浜に上陸して要塞を築き、ここに船員の多くを駐留させました。その要塞が2003年に同定され、ということは、その近くで発見され、多くの状況証拠が一致する今回の沈没船が、サンタマリア号である可能性が高いのではないか、ということになります。近々本格的な水中発掘作業が開始されるようですので、どのような結果がもたらされるか、刮目して待ちたいと思います。

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photo: Independent サンタマリア号の残骸と目される沈没船
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photo: wikimedia サンタマリア号の船上に立つコロンブス
via: Independent
via: newser